マイ六齋日に至るまで

☆☆メンバー表☆☆

亀楼主めり 

 実はずっと精進潔斎な生活をしたい、今風に言えばベジタリアンになりたい!って思っていました。二十代の頃から少しづつ豚や牛より鳥、魚を食べるようにしていましたが、最大のきっかけは、二年半程前に外国人空手家でベジタリアンの友人が出来た事。健康の為が理由だそうですが、それを貫ける信念がうらやましいと思った事が私に大きな影響を及ぼしました。(私は英会話は全然なのでじっくり話した事はないのですが)今度日本に来た時には、菜食レストランでもてなしてあげたいとネットを検索した事で、去年の冬(平成十三年)ベジタリアンサイト「まるまのお笑いベジタリアン」(まるまさん、あか虫さん)と出会い、そうしたらそこにも自分の信念を貫いて、世間とも上手に折り合っている人達がいっぱいいらして、私は結局出遅れていると云う事実にも密かに愕然としまして、そこでまずは六齋日からだと思い至ったわけです。

◇◇◇◇実は悪人な私◇◇◇◇

「動物にやつあたり」私自身動物好きだけど、特別な善人ってわけではありません。私の家には子供の頃にシャムねこがいまして私が七才の時に病気で死にました。ちゃんとお医者にもかかりましたよ。その猫はある社長さんの家で飼われていた猫でしたが、猫嫌いの従業員がいじめるのでもらってくれと頼まれて、家に来た猫でした。私はその猫が大好きで、その猫には自分の嬉しいも悲しいも全てぶつける事ができました。可愛がる事は勿論、幼稚園のころはやつあたりもしました。天使のような子供もいるだろうけど、私は悪い子でした。ある時折り紙で造花を作ろうとしてうまくいかなかったので、その猫にやつあたりして、造花のできそこないでピシピシぶちました。大変な悪い子供でした。でもぶった後で悪かったと後悔して、ごめんねと泣いて抱きしめるとその猫はごろごろ言ってもう許してくれるのです。それがちょっとうっとりする感情だったので、二、三回くらいやってしまいました。これってきっとSMの原点ですね(汗)
 今はとっくにこんな事はしておりませんよ、念の為。幼稚園の時の事です。しかし動物虐待の原点は、こんな所にもねっこがあるのではないでしょうか。大好きだからあたってしまうと云う。その当時も今も動物をいじめてはいけないのは当たり前ですが、子供の中にのは、そういう事をとくと聞かされないと、やってはいけない事でも自制心がきかないでエスカレートしていく子もいるのではないでしょうか。社会や大人が何故動物をいじめてはいけないのか教えないとわからない、そういう原始的な子供もいるのです。私などは動物を可愛がる、つまりは自分主体で可愛がるのは好きでしたが、動物(相手)は何を望んでいるのかと云う、相手の立場にたつ心の大切さと罪悪感は、小学校の頃に思いやりを道徳で教わって、それを大切と自分自身が理解する迄、気付けませんでした。善悪として動物をいじめる事はいけない事はわかりやすいですが、それだけでは抑制にはなりません。罪悪としてそれを恥る心が芽生えなくては、動物へのいじめもほったらかしも減らないのではないかと思います。

  昨年(平成十三年)神奈川県で増えたあらいぐまの捕獲ニュースで、檻に入れられたあらいぐまが「なんでかなしい顔をしているのかわからない」と云うような事をきょとんとした顔でつぶやいた子供が画面の中にいました。そういう事を教えられずにわかる子もいれば、教えられてはじめてわかる子もいるのです。感受性の発育が遅い子も、手間をかけられていない子も教えないとわからないのではないでしょうか。幼稚園で何になりたいの?と聞かれませんでしたか。「鳥になりたい」と云う子はどこにもいたと思いますが、私は鳥は人間につかまってしまう事もあるからいやだ、と幼心にも思いました。動物を支配しているのが人間な事に気付いていた子供でしたので。後年仏教の教えでは人も鳥も同じように仏性があり、花にも露にも仏性があると云う教えを知ったのは、目から鱗でした。

 「誰もが同じものを食べなくていい」 私は神も仏もいると信じています。占いなんぞもしちゃっています。それなので自分が牛を食べなければ牛の精霊が、豚を食べなければ豚の精霊が、占う力を応援迄はともかく、邪魔はしないでくれるのではないかと思うのです。私は生まれた時から肉を食べないでシャーマンのような修行をしてみたかったなぁって残念に思っています。誰もが同じものを食べて同じ考えを持たなくてはいけないのって、民主的でないと思いませんか?人が食べない事を応援する気持ちがあっても、いいのではないでしょうか。例えば「あの人は神主さんだから肉食はしないでもらってお祓いの仕事の実力を減らさないようにしてもらう」。そういう期待があってもいいのでは?又職業的にはそういう努力をした方が玄人だと私は思います。そのかわりにお祓いをしてもらう方は力を発揮してもらえるのですから、そういう人の菜食を応援する事はお互いにお得です。

 子供の時に、お誕生日には出来れば肉を食べたくないと思って、鰻かお寿司を頼んでいました(お魚も生き物ですが・・・)私の誕生日に、私の為に泣く動物がいるのがイヤだったんです。その方が食べない動物にも祝ってもらえる気がしましたし。元々牛肉も豚肉も余り味としても好きではなかったのもあります。しかし肉は小学三年生頃から好きになり、その後1981年〜1983年あたりだと記憶していますが、突然、カレーに入っていた豚の角切りの味をまずいと感じ、ちょっと豚肉を食べられなくなるまで、肉食に疑問を感じながらもおいしく頂いていました。誕生日はあいかわらずお寿司か鰻でしたが。

 肉の味の変化は、私の味覚が変化していたのか、その頃から骨粉を食べさせられた家畜が出だしていたのか、さだかではありませんが(知っている方いたら教えて下さい)その後は出来るだけ豚肉を避け、牛肉を避け、でも何回かは誘われればヤキニクもスキヤキもいきました。(焼き肉自体子供の頃にはあまり縁のない食べ物でしたし、私は肉と云う字もそのまんまな感じがして、料理の名前自体が焼き肉と云うのもそのまんま過ぎてすきでありませんでした)端折って昨年(平成十三年四月)一時ヨーロッパ人の気持ちと肉食文化を理解したいと、牛肉を解禁した時期がありましたが(半年位)どうも牛肉を食べると直ちに下痢を何度もしてしまい、関係があるのかと疑問を感じた頃に、七年振り位にヤキニク&キムチを食べて後、大腸炎になってしまいました。下痢発熱の果て、一週間後には、目が覚めたら顔がムーンフェイスになっていて、足の裏までむくみました。キムチが痛んでいた説もありましたが、私の体が大量の牛肉向きでなかった事は云えると自分では思いました。

「生き餌のおかげで魚を身近に」にその後亀の為に生き餌をあげるようになった事も、かえって魚の匂いに敏感になり、また魚への親近感も生まれ食べにくくなりと、いくつもの段階を経て、いくつもの段階を経て沢山の出会いが会って黄色いリボンの亀になりました。一緒にリボンの亀になってくれた方がいる事で励みになります。マイ六齋日にはどのリボンの亀さんもかかせません。

 しかし自分にとってがっかりしている事は、二十代の好奇心旺盛な頃に、すっぽん雑炊を食べてしまった事です・・・。後年悔やむ事になろうとは、その時は夢にも思いませんでした。すっぽんは食いついたらはなれないおそろしい動物、そういう思いこみが亀であるすっぽんを食べる事につながってしまいました、私の場合は。実は亀にとって罪人な私なのです。その上去年は120円の缶スープを飲んだ後に材料にスッポンもあった事を知り、がっかりしました・・・。

 尚、漁師さんや養殖畜産農家、お肉屋さんや魚屋さんや加工関係の人を非難するつもりなどない事は優しいメンバーの方は承知の事と思いますが、突然検索でここへ来た人の為に一言。村の共同体では肉食の発生においては狩で獲物をとれる人は尊敬される大事な存在です。解体作業もそうです。肉食文化においては、家族の誰かの大事な分担作業であった事は想像に難くありません。戦争前に戦争!戦争!と声高に叫んだ人達が戦後一転して同じ口で反戦!反戦!と叫んだように、今後日本にもベジタリアンな風が吹いて来た時に、まっさきに散々食べていたくせに恩知らずお門違いな事をするのはそのような人達でしょう。ただ現在は機械化されて、それが為に必要以上の家畜が屠殺され、売れ残り食べ残しになっているのは憂えるべき事ではないかと思います。

「食欲を統御しよう」もうひとつ私が六齋日から考えたいのは、もしも食糧難が訪れた時の為に、平気で数日は食べないでいられるからだ、笑って他の人や動物にも食べ物を譲れる精神を鍛えて作っておこうと云う事。そして他人の大事なペットを食料として提供しろとかそんなものにやる食料が無駄とか言わせない人間の社会の為に、時々食の制限を持つ事は重要なのではないかと思うのです。私は他人のものや人のペットを奪って食べるよりも、野良ねこを食べるよりも、飢えたままでも笑い合って死にたいです。

私の六齋日の記録はからす日記に。

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